老人は過去に生きるしかない

錬金術

「1570 日経レバ」
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<2016年12月>
根拠買単価投資資金残金根拠売単価回収資金元金500,000
下落3本目引け13230489,51010490高値割込み陰線引け13360494,320504,810
切り返し陽線引け13480498,7606050三本目引け14340530,580536,630
切り返し陽線引け14700529,2007430三本目寄り14960538,560545,990
1本目陽線引け14900536,4009590三本目寄り15170546,120555,710
下落3本1本目陽線引け14480550,2405470三本目寄り15140575,320580,790



「1570 日経レバ」 
300-4-5-9-1.jpg

<2017年1月>

 ~ 略 ~

  1. 2017/02/12(日) 18:38:17|
  2. ひとりごと
  3. | コメント:2

現状報告

70ぐらいに人生のゴールのフラッグを立てていたが。。。

どうやら、、60台でゴールを迎えそうな予感がしてきた。

死因は、、、これも予想通り、、呼吸不全、、、

人生、計画通りに生きて、計画通りに死んでいく。
これほどまでに思い通りに生きられたことに感謝である。

2年前の最後のオフ会。
あの時すでに痰と咳に犯されてた。

あれから日に日に悪化の一途をたどり、ついに正月を超えてから。。。
2度ほど死を覚悟した。

いままで熱が出ようが、脱力感に陥ろうが、激しい腹痛に襲われようが、、、
一日、二日、耐えれば回復した。

が、、、いまの痰の絡みと激しい咳は、、日に日に激しくなる。

毎晩、激しく咳き込み、気管支に詰まった痰を吐き出す。
ときに熟睡中に、、痰が絡み、呼吸困難に陥って七転八倒。。

これも人生50年、大量の煙草を吸い続けてきたことの結果、、、
このような死に様は当然覚悟のうえ。

明日は無い人生。

孫との時間に楽しみを見つけるが。。。
なにせ体力が落ちて、3歳の孫について歩けないという醜態。

これが最後の記事になるのだろう。


  1. 2017/02/09(木) 00:06:47|
  2. ひとりごと
  3. | コメント:10

幸せこそが仕事の目的

社会に出て1年が過ぎ、試用期間が終わって5日に1度の当直勤務に組み込まれることになった。
私の班の当直長は、総務係長の山瀬警部補。当時50歳過ぎていたと思う。

豪傑タイプの人で、署長であろうが、副署長であろうが、相手によって態度を変えるという人ではなく、自分が正しいと考えたことはズバッ!ズバッ!と言い切る人だった。

高卒ではあったが、刑法、刑事訴訟法、警察官職務執行法、すべて丸暗記しており、法令集など開かなくてもスラスラっと条文を答えられる優秀な人で、上層部に好かれはしなかったが、一目置かれている、、そんな雰囲気をもった人であった。

私は2年間、この山瀬警部補班の当直勤務員たちと寝起きして、いろいろなことを教えてもらった。

高卒で警察官を拝命して以来、猛烈に勉強し、必死に仕事に励んで、念願の刑事になった。昇任試験は、巡査部長試験一発、警部補試験一発で合格し、当時は、エリートコースで出世街道まっしぐら、県警幹部になるのは間違いなしと誰もが思っていたそうである。

それが警部補昇任後、昇任試験の受験を止めてしまった。やがて刑事の職からも外され、窓際である総務係長の職に甘んじてしまった。もう20年近くも警部補の階級を続けている、出世できる能力があるのに、出世を目指さない、そんな変わり者との陰口を叩かれていた。

ちょうど2年目に入ったある日、山瀬警部補と仮眠に入った。
それまで疑問に思っていたことを聞いてみた。
「署長になれる能力があるのに、なぜ試験を受けないのですか?」

俺は、海津(岐阜県南部)の水飲み百姓の次男坊だったから、子供のころから出世志向が強かった。しかし大学へ行ける金もなく、出世するには自衛隊か、警察官か、と考え警察官を選んだ。自分で言うのもなんだが、、頭は良かった。昇任試験も簡単に合格できた。そして警部補に昇任し、刑事としてもバリバリと仕事に励んだ。ここまでは子供のころからの夢、署長になって威張ることしか頭の中になかった。

がっ!

30過ぎたころに自分の生き方に疑問を持った。
「働く目的は、何なんだ」
「出世イコール幸せなのか?」

結婚して5年、子供はできなかった。刑事の仕事柄、仕事仕事で家に帰る日も少なく家庭(妻)のことなんか考えていなかった。そりゃあヤルことやってないんだから子供ができるはずがない。これで署長になって幸せなのか、、、そう思った。

そう思ったとき、「虚しい」という気持ちに襲われた。

それで出世を目指すのは止めた。仕事も家庭優先に切り替えた。当然、家庭を優先に考える者に刑事が務まるはずもない。それがいまの俺だ。このまま家庭優先で退職まで生きて行くということだ。

人間とは愚かな生き物だと思う。幸せになるために仕事をする、、、、これが仕事をする唯一無二の目的なのだ、、、が、、いつしか出世することが目的と化して、「幸せになるために仕事をする」という初期の目的を見失ってしまう

金を稼いで、家族との生活を優先する。これが幸せであり、このために仕事をする。これが人として生きるということ。

仕事をするとは金を稼ぐこと、、、と考えてみたまえ。

「出世する→収入が増える」ということになるから「金を稼ぐには出世する」ということになるが、それは思い込みであって、現実はそうはいかない。

たとえば警部補(係長)程度なら部外者との交際がないから、高級な背広や靴は要らないが、署長になれば、外部の社会的地位のある人間と交際しなければならなくなる。そうなれば当然、その身分相応の服装が必要になる。飲み代などの交際費も高級な店に出入りすることになるので、係長が部下を連れて居酒屋で飲むようなわけにはいかない。

つまり出世で収入は増えるが、出世することによって増えた収入以上の出費が出ていく。すなわち差し引きすれば出世すればするほど、家庭に残る金は減っていくということになる。「仕事をするとは金を稼ぐこと」と考えるなら、出世とは、仕事をするという目的とは外れたところにあるということになる。


  1. 2017/01/29(日) 11:50:15|
  2. 影響を与えた言葉
  3. | コメント:1

人と比べることに意味はない

社会に出て初めての給料が支給された。
給料袋を開いてみると、1万円札が1枚、千円札が7枚とあと小銭が入っていた。

研修の時に支給された給料が1万9千円余だった。それを期待していたので、現実の支給が少ないことに愕然とした。明細を見る。昼食弁当代1500円、親睦会500円が差し引かれていた。自分の食べた昼食代が引かれているのは当然なのだが、それでもショックだった。

その日の夜、アパートの家主が家賃の集金に来た。8000円なりである。
支給された給料17000円から8000円を支払うと残りが9000円。これで1ヶ月を食っていかなければならない。ただ、現実に自分が物を買い、自分が支払いをするという生活は未体験である。いくらで生活できるかなど、まだ分かってはいなかった。

「三十までに生活の基盤を固める」
これが社会人になっての私の目標であった。金を貯める、金さえ貯めれば自信をもって生きられる。当面の目標は「年収分を貯める」、私の頭にあったのは、ただこれだけであった。

研修のときの給料をまだ1万円残していた。これにプラスして毎月2000円は貯金すると決めた。
これで1ヶ月の生活費は7000円となる。

1ヶ月生活してみて厳しいことが分かった。
生活費がオーバーしそうになると、味噌だけがおかずと言う日が続いた。銭湯も1週間に1度と倹約した。春先は、長良川の堤防に出て、つくしを摘み、フキノトウを摘み、野生の菜の花を摘み、、、これをおかずとすることで生活費を浮かせた。また、イナゴやバッタを捕まえて佃煮として保存もした。

こういう生活を苦とは思わなかった。
小学生の頃の我が家は、こういう生活をしていた。私たち子どもは、山菜を採ったり、山芋を掘ったりと、遊びの中で家計を助けていた。働き始めても、、、、生活する、、、食っていくとは、こういうものだと思っていた。

そうして半年が過ぎ、ボーナスが支給された。
このころ同期生の一人から連絡が入った。「ボーナスが出たから一度会おう」という話だった。みんなまだ19歳と未成年だから場所はレストランを兼ねた喫茶店だった。

私はそんな場所に行ったことはない。気乗りはしなかったが、あまりにもしつこく誘うので仕方なく参加を決めた。集まったのは女子2人を含む8人。みんな岐阜市内の出身、いわゆる町の人間である。

結論を言えば、生まれて初めて屈辱感を味わった、、というしかない。

出されたのはサーロインステーキ。当然、フォークとナイフである。
田舎者の私には、使い方も分からない。仕方なく、みんなのするように真似をする。だが、フォークの背にご飯を載せるというのが上手にできない。みんなは慣れた手つきで、フォークの背にご飯を載せてパクパクと食べる。

そして話題と言えば、、、彼女はできたか、、とか、、どんな車を買う、、とか、、夏休みはどこへ旅行する、、、とか、、、ギリギリの生活で生きている私には考えたこともない遠い世界の話である。

誰かに馬鹿にされたわけでもない。非難を受けたわけでもない。
だが、私は地獄の底に叩き落されたくらい惨めな心境でアパートに帰りついた。

アパートの布団の中で、いろいろと考えた。
世の中は理不尽なものだ。
同じ給料をもらい、同じ仕事をしているのに、その生活は天と地ほどの違いがある。

こうしていろいろと考えている時に、祖父に言われた言葉を思い出した。
「ウジ虫に生まれ落ちたヤツは、きれいな蝶々になりたいと願っても、死ぬまでウジ虫」
「幸せになりたいなら、ウジ虫として精いっぱい生きることしかない」

いままでは漠然と、そんなものかと聞いていたが、きょうのことは、これですべて納得できると思ったのである。

同じ人間が、同じ試験を受けて、同じ仕事をし、同じ給料をもらっても、、、
町に生まれた人間は、家賃の8000円を自由に使える。さらに食費も必要ない。

山に育った私に自由に使える金などないが、町に育った彼らは19000円すべてが自由に使える金なのだ。

「人間は能力や努力で差が付くのではない、生まれたときに、すでに差は付いているのである」
「人それぞれに生まれ育ちに差がある以上、人と比べることに意味はない」


このときの屈辱感の中で、私の人生哲学は生まれたのである。


  1. 2017/01/26(木) 22:35:40|
  2. 影響を与えた言葉
  3. | コメント:2

堂々と自信をもって生きよ

昭和45年4月1日。
研修を終えて配属先である岐阜北警察署に着任した。

着任の挨拶に辞令書をもって署長室に向かう。総務の係長が「署長は不在だから庁舎内でも見学していてくれ」と言う。署長に会わなければ、どの部門で仕事をするのか分からない。仕方なく、2階、3階と見て回る。

老朽化した木造庁舎の床板がギシギシ軋む。ところどころに踏み抜いたような穴が開いていた。

3階に上ったところの廊下で、作業服を着た一人の老人が床板を張り替えていた。
近づいていくと、、、「気を付けて歩けよ、怪我をするぞ」と言う。つっ立ったまま作業を眺めていた。

すると、、、「ヒマなら手伝ってくれよ」、、と言う。
別にすることもなかったので、板を運んだり、押さえていたりと、老人の指示に従ってお手伝いをした。作業が終わると老人は「君のおかげで助かったよ、ありがとう」と言って、大工道具を片付けて1階の方へ降りて行った。

会議室に入り、窓から町を見下ろしてみた。
北側は鷺山本通りのバス路線である。その向こうは当時はまだ田園地帯で、美濃国の戦国大名である斎藤道三が、嫡男義龍との戦いで陣を敷いた鷺山城址が見通せた。道三の首を埋めたとされる道三塚は、すぐ目の前である。南側に回ると、そこには高いコンクリートの塀で囲まれた一角があった。拘置所と刑務所である。

しばらく時間をつぶして1階に降りていくと、総務係長が私を呼び止め、「署長が帰ったから挨拶をしてくれ」と言う。署長室の前に立つと緊張した。

気を引き締めて署長室のドアをノックする。

「どうぞ」と声がかかる。
ドアを開けると、、、、、、、、
あの作業をしていた老人が作業衣姿のまま応接セットに座って新聞を読んでいた。

私は、ただ、、、唖然として声も出なかった。

警察署長、ここのトップである。高校で言えば校長であろう。
もっと威厳があって、まだ高校生気分の私には、声をかけるのも恐れ多い存在だと考えていた。
それが、、、あの床板を修理していた、どこにでもいるような老人なのである。

私の脳裏にある署長のイメージと現実のギャップがなかなか埋まらない。

署長は顔を上げて私を見ると、、、
「ああ~、さっきは助かったよ」
「君が今度来てくれるのかね」
「じゃあ、これからもまた手伝いを頼むわ」

コーヒーを入れてもらい、しばらく世間話をした。渓流釣りが好きで、私の故郷へも泊りがけで釣りに入ったというようなことを言う。そういう話を聞くとますます親しみを感じてしまうのであった。

「儂ももう定年なんでね、なんの役にも立たん、せめて庁舎の補修ぐらいはと思ってね」
などと言う。このときの署長の年齢が54歳である。

この署長との付き合いは、わずか1年弱だったが、私の哲学となる教訓を教えてもらった。

まだ私は19歳だったが、高校3年生から吸い始めた煙草が止められなかった。警察署に居て煙草を吸うなどダメと言うのは分かりきっている。それでも吸いたい気持ちを我慢できずに、トイレの個室で隠れて煙草を吸った。

これが、、、運が良かったのか、悪かったのか、、、これは後からわかるのだが、、、隣の個室に署長が入っていたのである。

何日かが過ぎ、私はもう忘れていた。

ある日、また署長の補修作業をしている姿を見つけて手伝った。そのとき、「君は、隠れて煙草を吸ってるだろう」と言われた。ここはシラを切りとおすか、素直に認めるか、、、迷った。しばらく迷った挙句、、、すみません、、と謝った。

「儂は、煙草を吸ったとかどうとかということを問題にはしない」
「ただ、男としての生き方として君に言っておきたい」

「何事もやると決めたら堂々とやれ」
「こそこそと隠れてやるとか、そんな自信のない中途半端な生き方をするな」


煙草が吸いたかったら、みんなの前で堂々と吸えば良い。
誰かが何か言ったら「俺が吸いたいから吸った、何が悪い」と言ってやれば良い。
「未成年が・・・」などと講釈を言うヤツがいたら、「じゃあ逮捕して処分しろ」と言ってやれば良い。

これだけ堂々と開き直られて、処分できる人間などいないもんだ。

これは良い、悪いの問題ではない。
「男の生き方とは、こうあるべきだということ」
「君には、こういう生き方をしてもらいたい」


この署長は定年退職を1ヶ月後に控えた、2月の寒い日、単身赴任中の官舎で急逝してしまった。
人生で100回以上葬儀に参列してきたが、涙が流れたのは、後にも先にもこの署長の葬儀だけだった。


  1. 2017/01/24(火) 21:20:51|
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