老人は過去に生きるしかない

何もしない人生

私と同じように早期退職した人たちが、、、口をそろえたように、、第二の人生は決まったか、、と聞く。
その意味するところは「再就職」ということを指しているらしい。

これが私にはまったく理解できない。
なぜそんなに働きたいのか?
働らかなければいけないのなら、、、なぜ早期退職したのか?

他人の考えることは、さっぱりわからんのである。

第一の人生は、生きるため、欲のために働くこと。
第二の人生は、死ぬことへ向けての心の準備をし、楽しむこと。

祖父もそういう生き方をした。
私もその祖父の考え方や生き方の信奉者だから、当然そういう考えをする。

毎日、ウッドデッキの長椅子に寝転がって日向ぼっこをする。
時間も関係ないし、曜日も関係ない。
腹が減ったら何かを食べて、暗くなったら家の中に入る。

理想としてきた生き方である。

春は畑をつついて野菜を作る。
球根を植えてユリを咲かせる。

子供を散歩させて歩くママさんが何人か通る。
愛想よく声をかけてくれるママさんには、野菜を取って持たせる。
花が欲しいという子供にはユリの花束を作って持たせる。

穏やかな一日が流れていく。

欲もない、虚しさもない、妄想もない、、、
ただ時間の流れに乗って漂っているだけの人生。
俺は一生をかけて、この理想の生活を手に入れたのだと満足していた。

ちょうど53歳。

みんなが口をそろえて言う
「まだ若いのに・・・」
「せっかくの公務員を辞めるなんてもったいない」
「これから何をするの?」

私が就職した時、定年は55歳であった。
上司たちはみんな53~55歳で退職していった。
誰も「若いとか、早すぎる」などとは言わなかった。

それからわずか30数年しか経っていない。
人間の細胞が、、、わずか30数年で活性化し、長生きできるようになるものか?
最近でも60歳代は老人ではない、まだ若いというようなニュースが流されていたが、結局は、政府の洗脳によって、そう思い込まされるということだと私は思う。

平均寿命が伸びた、、、これも政府の洗脳。
わずか30年や50年のスパンで人類(動物)が、そんなに劇的に進化していくものか?
するわけがない。

若年者が減少して、高齢者が増加していく。
当然の平均年齢は上がっていく。
これを平均寿命が伸びたという言い方をする。

そして、、、それを何も考えてはいない馬鹿な人間たちが、平均寿命が伸びていると勘違いする。
これからは100歳、200歳まで生きられるようになる。60歳、70歳はまだまだ若い。

笑える話である。

笑える話はもう一つある。
テレビなどの健康番組で「お医者さんに相談しよう」というフレーズが良く流される。

お医者さんに相談したら健康で長生きできるのか?
という話である。

健康診断を受けて、健康相談して、薬を飲んでいれば長生きできるのか?
これが正しい話であるならば、、、

老人ホームや介護施設の入所者の大半は、医者と看護婦ばかりになっているはず。
こんなものは医者と言う商売の宣伝文句だと思うのは、、、私だけか・・・(笑)


こんなことを考えながら日向ぼっこをしていると、あっという間に日が落ちてしまう。
仕事を辞めてから、、ますます時間が流れるのが早くなった気がする。

  1. 2017/01/17(火) 15:33:32|
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戦い済んで

平成15年4月1日。52歳と11ヶ月22日である。
ついに退職承認の辞令を受け取った。

この辞令交付式で、思いもよらないことが起こった。警察功績賞が授与されたのである。
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そんなこと思いもしなかったし、、、
名前を呼ばれても、他人事だと。。。しばらくは反応できなかった。

こんな勲章、誰でもがもらえる物ではない。誰か有力な人が推薦してくれなければもらえるわけがない。ましてや早期退職者の私にである。それでも誰かが私を推薦して申請してくれたことは事実である。

表彰とか勲章とか、、、いままでそういう類の物に何の価値観も感じなかった私だったが、、、これは誰かが私を認めてくれていたという証拠としてうれしかった。

式典が終わって帰ろうとしていたとき、式典のひな壇に座っていた、あの三橋参事官(従姉の旦那)が近づいてきて一言。
「俺に頭を下げれば、定年まで勤められたのに・・・」
こいつは根っからのクソだと思った。

同期生たちや可児署の捜査本部にいた刑事たち、その他何組かから送別会の申し出があった。すべてお断りした。人間関係なんて、、、すべては虚無である。酒を飲むこと自体が虚無の世界である。そういう定型的な行事をすること自体を虚しいと感じる心境に陥っていたのである。

可児署の捜査本部で一緒だった大川刑事課長が、「俺の送別会も受けないんかい」「そりゃあ仁義に外れるだろ」と怒って電話してきた。

「これからは無職の人間だから、、、『酒と女を絶つ』と決めた、、だから了解してほしい」

「そうかぁ~、『酒と女を絶つ』かぁ~、できるんかい」
「女と酒があるから人間生きていられるんとちゃうんかい」

「そりゃあ、あんたは女にモテるから、そう言えるんだろうが・・・」
「俺は、女で良い思いをしたことがないから、、、そういう考えはないね(笑)」

「まぁ~考えは人それぞれだからしゃあ~ないけど、寂しくなったら電話くれよ」

大川刑事課長と電話していて、、、
「あいつみたいに人生思い通りに動いていく人間には虚無と言う感覚はないんだろうな」
心の底からそんなことを思った。

しかしひとつだけ送別会に参加した。
あの給与厚生課で部下だった正司係長の申し出だけは受けてしまったのである。

あの孤立無援の給与厚生課で唯一心の支えとなってくれた女性であり、かつ、参加者は、いままでの私の部下だった女子職員だけに声をかけた、という話だった。

正司係長には恩を感じていたし、参加者は女性ばかりというのが断れなかったということになる。
こういう場面(中途退職)で、親しくしていた男と酒を飲めば、必ず愚痴をこぼし、泣き言を言い、後悔し、誰かの悪口を言う、、ということになる。相手は慰める気持ちで言ってくれるのは分かるが、、、それは結果的に自分を惨めにさせるだけということになる。

だから、、、男を相手の送別会はすべて断ったのであった。

会場は、グランベール岐山の宴会場(大広間)であった。ここは教職員共済組合が運営する施設である。

警察共済の宿泊施設の廃止問題の時、当時、老朽化で建て替えが検討されていた、この施設との共同出資による建て替えも検討されていたのだが、教職員組合(労働組合)対警察共済組合(警察庁)という組織トップの折り合いがつかず、教職員共済組合の方がさっさと新装オープンさせてしまったという因縁の施設である。

集まったのは、女ばかり38人。
うち4人は高卒の新規採用として指導した職員もおり、またすでに退職して専業主婦となってる女性も5人参加していた。思い出深い顔ぶれである。

送別会というより女子会である。
子供がどうしたとか、、誰々が結婚したとか、、
主賓の私より、女同士のグループで盛り上がっている。

そんな賑わしい女たちを眺めていて、、、
「これでこういう場面を眺めるのは最後になるのだ」、そう思った。

この人たちとも明日からは、まったく無縁の人となってしまう。
まさに虚無の世界である。

何かをするから虚しい。
何もしなければ虚しさに襲われることはない。

これを悟りと言うのか?


  1. 2017/01/16(月) 22:47:04|
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決断

休暇を終えて職場に戻ってみたものの、、、やる気が起こらない。

決められたことを、ただ淡々とこなす。決められた時間になれば帰宅する。何も考えないし、何の感動もない。事務職とは本来そういうものだが、いままでの5年間が刺激的すぎた。あの刺激が強すぎて、この変化のない時間を過ごすことを苦痛に感じていた。

こうして時間を過ごせば40万円程度のお金が手に入る。
それがどうしたという思いがある。そんな40万のお金が必要なのか?まったく必要ない。

そんな必要のないお金を稼ぐために、なぜ拘束されなければいけないのか?
毎日毎日そんなことを考えていた。

そのころ岐阜県は、県職員の高齢化対策、いわゆる団塊世代を整理して、新規採用を増やすという組織の新陳代謝を促すという施策を推進していた。当然、警察本部の警察官や職員も対象になる。その早期勧奨退職(人員整理)の適用が50歳以上であった。

現在52歳。条件は満たしていた。早期退職に応じれば、定年までの残年数に応じて最高5割増しの退職金がもらえるという仕組みである。ひと口で言えば、高齢職員のリストラである。

この勧奨退職者の募集は、辞める理由になる。
だが、迷っていた。

なぜ迷う??
と問いかけてみる。

迷う理由など何もない。
あるとすれば、、、単なるいままで続けてきた職への未練。ただそれだけ。

就職したばかりの頃、仕事が嫌で嫌で仕方がなかった。
祖父に、、、「なぜ働かなければいけないのか」と聞いたことがある。

答えは明快だった。
「そんなもの死ぬか、生きるか、というだけのこと」
「死ぬを選べば、すべてが一瞬で解決する」

「生きるを選ぶなら食わなければいけない」
「食うためには働かなければ食えない」

「ただそれだけのこと、考えることも迷うことも何もない」
「仕事を辞めるかどうかを考えるのは、食うだけの金を稼いだとき」
「まだ金も貯めないヤツに、辞めるか辞めないかと考える資格などない」

これが私の出発点であった。
出世とか、評価とか、そんなことは全く無関心に生きてきた。
すべて金である。
食ってくだけの金があれば仕事などしなくて良い。

ただそれだけが目標で生きてきた。

これを思い出した時、迷いは吹っ切れた。

働く理由もないのに、こうしてダラダラと職に居座り続けるのは虚しいだけのこと。
机の引き出しから、この書類を取り出し、申し込みのサインをして提出した。

「君はまだ早過ぎないか?」
「年金が出るまでの10年、短いようで長いぞ、大丈夫か?」
受け取った人事の担当者が、心配してくれたようだ。

無収入となっても10年は家族を食わせていける金は貯めていた。
そしてそれが今までの私の力の源泉でもあった。

「クビになるのが怖い」
私は、そういう人間を心から軽蔑してきた人間でもある。
金があったからこそ、クビなど恐れもしなかった。

あとは整理退職の枠に入れるかどうかだけであるが、それは私が考えることじゃあない。
運命で定められていることである。

この年は退職枠からはみ出した。

そして翌年、また早期退職の申し込みを出した。
交通規制課に着任して、早くも3年目を迎えていた。

「こんなくそ面白くもない組織だが、俺にはまだローンが残っている」
「金のことを考えてこなかったツケが回ったんだが、迷いもせずに辞められる君がうらやましいよ」

早期退職の枠に入ったことを伝えた課長が私に言った言葉である。


  1. 2017/01/15(日) 15:53:39|
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修行の道遠く

その日は、車に戻って車中泊で一晩過ごし、、、夜明けを待ってまた樹海の中へ入った。
朝は、、、あの樹海の中を漂う霊も眠っているらしい。

昨日のような強い霊気を感じない。

また遊歩道を歩き、遊歩道から外れて樹海の中へと入り込む。
そして昨日と同じように手ごろな場所を見つけて寝ころぶ。

いままでの瞑想では「いかに生きるか」「死ぬか生きるか」、、、
それだけを考えていた。

なぜだかは分からないが、しばらく寝ころんでいて不意に、祖父のことを思い出した。

志那人が守備する陣地へ突撃をかけた。
トーチカから機関銃の玉が雨のように降り注ぐ。
1個小隊50人ぐらいが、その降り注ぐ機関銃の玉の中へ飛び込んでいく。

当然、日本の兵士が撃たれてバタバタと倒れていく。
突撃が終わると、無傷で生き残っている兵士は数人のみ。
ほとんどは死体となって還ってくる。

俺は3度、突撃して3度とも生きて帰ってこられた。
世の中は、すべてそんなもん。
なぜ?もなければ、どうして?もない。

この話を思い出した時、目が覚めたような思いになった。
「そうか、生きるか、死ぬか、なんか俺が考えることじゃあないんだ」
「そんな自分が決めることじゃあないことを100年考えたって答えが出るはずがない」

一歩前に進んだ気がした。

樹海を出ると、そのまま箱根の仙石原までドライブした。
少し気持ちが軽くなっていた。

ドライブの途中で、あるホテルの看板が目に入った。
中学校の修学旅行で泊まったことのあるホテルだった。
懐かしい思いもあり、飛び込んでみた。部屋は取れた。

部屋に何の記憶もなかったが、風呂には記憶があった。
大きな風呂に入ると中学時代の思い出がよみがえった。

あのころ虚しいという感情など起こったことはなかったと思う。
子供の頃は虚しいという感情などないのに、なぜ大人になると虚しい気持ちに襲われるんだろう。
布団に入ると、そのまんま夢の中に引きずり込まれてしまった。

翌日は、、、また青木ヶ原樹海に向かった。
樹海の中で静かに瞑想し、思いを巡らせた。

「なぜ虚しいという感情が沸き起こるのか?」
「どんなときに虚しいと感じたか?」と思い出してみた。

まだ子供のころ、空腹に耐えかねて他人の畑のスイカを盗み食いしたことがあった。美味しかった。運悪く見つかった。散々に殴られた。ひどい目にはあったが、空腹を満たすことができたという満足感があった。後悔もなかったし、虚しいなどとも思わなかった。

就職して町へ出てきたばかりのころ、前を歩いている女の子のスカートのファスナーが下がって下着が見えているのに気付いた。呼び止めて教えてやった。すると、、、「変態、スケベ」と罵倒された。虚しいと思った。

いろんなことが次から次と思い出される。
そして思った。

福利厚生課でやったことは、親切のつもりで女の子に下着が見えていることを教えてやったことと同じではないのか。

空腹を満たすためにスイカを盗み食いしたのは、自分にとって実利があった。だが、女の子の下着が見えていることを教えて、自分に何の実利があったのか。何もない。実利は何もないが、無意識の中に感謝されるという妄想(期待)があったのだろう。

だが、結果は自分の妄想とは正反対の激怒と非難。この落差に虚しいと感じたのではないか。


頭の中を支配している『虚しい』という空虚な気持ち。
そこから抜け出す方法は未だに見つからない。

しかし、この樹海の中でいろいろ思考したことで、なんか漠然とだがヒントのようなものが見つかりそうな気がしているのだが、、、ど忘れしてしまったことが、喉元まで出てきているのに、、なかなか出てこない、、というような、そんなもどかしさに似たような状態に陥っている。


  1. 2017/01/13(金) 14:52:05|
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修行の道へ

梅雨も終わり、セミが鳴き始めていた。
あの老僧と話してから半年が過ぎようとしていた。

毎日のように同級生の寺に通い、もしくは自宅の押し入れにこもって瞑想をしていた。
「自分に問いかけろ」と、あの老僧は言った。

しかし瞑想しても、今までのいろいろな思いが駆け巡るだけ。
いろいろな思いが交差して、ますます自分が分からなくなっていた。

再び、あの老僧を訪ねた。
「いままでの人間関係はすべて断ち切れ」
「欲を捨てろ」
「そうしたすべてのものが雑念となる」
「雑念を捨てて、無心の心境に身を置くことが修行の第一歩となる」

愛だ、恋だと夢中になって、、、しかし女を抱いて精液を放出した瞬間から、愛だ、恋だと夢中になっていた妄想から覚めて現実に戻る。すべては虚無であったと思い知る。

酒を飲む、気分が高揚して騒ぐ、、、、しかし酔いから醒めて現実に戻る。あの高揚感は何だったのかと虚しくなる。すべては虚無であったと思い知る。

家族、、親友、、自分と意識を共有していると思い込んでいる、、、だが、逆境に陥ったとき、誰も自分の痛みなど共有もしないし、、何の助けにもならない。すべては虚無なのである。

すべてを捨て去り、自分だけを考える。
苦しむのも、死ぬのも、、、自分ひとりだけなのだから、、、

そこに修行の出発点がある。
世の中のすべてが虚無であると悟ったとき、初めて自分の生きる道が見つかるのであろう。

老僧の言葉にヒントを見つけたような気がした。


ある日の瞑想中に、30代で自殺した同期生のことが浮かんだ。
幼い子供を残して、、、富士の青木ヶ原樹海で死んだ。
そのころは「何も死ななくても・・」「馬鹿なヤツ」と思ったものであったが、いまは、、、、、、

「なぜ、富士の樹海だったのか?」
それがひっかった。

翌週、有給休暇を取った。
年間20日間の有給休暇が与えられるのだが、いままでの30年間、一日も使ったことはなかった。初めての有給休暇で富士の青木ヶ原樹海へ向かった。

季節は夏の終わり。
富士山がすばらしくきれいだった。
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樹海の遊歩道のあちこちに自殺防止呼びかけの立て看板が立てられている。

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着いたのは、ちょうど昼過ぎであった。
朝から何も食べていないが、食欲はあの虚無の世界に迷い込んだときから失せていた。

真昼にもかかわらず樹海の中は薄暗く、地面一面に生い茂るコケ類、そして異様な形をした樹形や地面に露出した木の根。そこに入り込むだけで、何か異様な霊気のようなものを感じるのである。

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  1. 2017/01/12(木) 15:01:32|
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