老人は過去に生きるしかない

沈黙は金なり

人生を積み重ねて来た人には、積み重ねて来た経験則というものがある。
試行錯誤しながら長く生きてきて、本能的に「これは正しい」「これは間違っている」という判断ができるようになる。

親は、その自分の経験則での判断で、子供に「こうすれば良い」とか「これはダメ」とか言う。だが、まだ人生経験もない子供は、そんな親の言うことなんか聞く耳は持たない。親の言うことより、「友達がこう言った」とか「ネットでこう言ってる」と言った、根拠もない情報の方を信じる。そして「今は時代が違う」と親を馬鹿にする。

その結果、「騙した」とか「騙された」とか、喜んだり、落ち込んだりと経験を積み重ねる。
そして親の年代まで経験を積み重ねて初めて、親が言っていたことが正しかったと分かる。

親の経験則に基づく助言を、知識として、子供が受け入れていれば、無駄に試行錯誤なんかせずに、もっと有意義な人生を過ごせるのにと思う。もっと言えば、人間はもっと進化するはずだとも思うのである。

私の人生は、祖父の教えにしたがって生きてきたように思う。
勉強しなかったから知識がなかった、、、と言うことなのだろうが、人生に迷ったときは必ず祖父が言ってたことを思い出した。答えさえあれば人生迷うことはない。馬鹿にされようと、批判されようと、それが正しいとの信念さえあれば迷うことはない。

祖父の教えに、こんなのがある。
「しゃべるヤツを信用するな」、「できる限り、しゃべらないのが賢い生き方」

そして、極めつけは、『馬鹿とはしゃべるな、賢いヤツともしゃべるな
要するに、馬鹿は知識がないから感情でしゃべる。感情でしゃべるヤツの相手をすれば自分も感情的になる。感情的な議論をどれだけしたところで、目の前の問題は解決はしない。論点が外れてしまっているんだから・・・

賢いヤツは、豊富な知識を総動員して理屈でねじ伏せようとする。目の前の白い物でも、理屈で黒だと正当化する。つまり目の前の問題を解決しようとは考えていない。自分の考えを正当化し、相手をねじ伏せることが目的化してしまっている。こんなヤツを相手に一年中しゃべっていても何も解決しない。

この賢いヤツの話は、あの民主党時代の決められない政治を見ていて、まさに祖父が言ったとおりだと納得したものであった。言ってることは、非の打ちどころもなく正しい。しかし目の前の現実に対して、白か黒かの決断ができない。つまり問題を解決しようと議論しているのではなく、それぞれが自分の考えを正当化し、相手をねじ伏せることだけを考えているのだから・・

***************

係長以上になると年に2.3回、全警察署から担当者を集めて丸一日の会議がある。
目の前の課題をどうするか、という会議であるが・・・係長に昇任して初めての会議では退屈でほとんど居眠りをしていた。それではまずいと思い、次からは推理小説を持ち込んで読んでいた。みなさん、かんかんがくがくと不毛な議論に夢中。

やがて何もしゃべらない私に向かって、ひな壇のお偉いさんから「お前はいつも何も意見を言わないが、お前には考えというものはないのか」と怒鳴りつけられた。

仕方なく立ちあがって「こんな簡単な問題に、なぜ一日もかけて会議をするのかが分かりません」「あなたがヤレと言えば、みんなやるし、やらないと言えば、みんなやらない」「ただそれだけの事じゃあないんですか」

「バカヤローー!!!」
「みんなの知恵を出し合って、最も良い方法を考え出すのが、この会議だ」
「お前のような無能なヤツがいるからダメなんだ」

私には、そのお偉いさんこそが、判断力のない無能な上司だと、自分で白状したようなものだ。自分で判断できないから、みんなの意見を求める。これこそ失敗した時の責任を転嫁するための逃げ道。無能なヤツに無能だと言われた。そう思うと笑いがこみ上げてきた。
これが賢いヤツのする議論というものなのだろう。

***************

機動隊の小隊長時代のこと。
週の初めに一週間の方針を決める小隊長会議が開かれる。
メンバーは、隊長、副隊長と小隊長4人。小隊長2人は私より先輩、あと一人30代のエリートコースまっしぐらの新進気鋭の小隊長。

隊長が延々と自分の方針を語ったあとで、「みんなの意見を聞きたい」と小隊長たちに意見を求めた。私を含めみんな人生経験を積んだ小隊長たちだから何も言わない。若い小隊長も、先輩の小隊長に遠慮して黙っていた。

誰も何も言わないことに腹を立てた隊長が、「お前ら、何も考えと言うものはないのか」「よく小隊長をやってられるな」と、私たちに向かって怒鳴る。それでも誰も何も反応しなかったが・・・

一流大卒の30代の小隊長が反応した。若さゆえに我慢できなかったのであろう。
「私は、こうこうの理由で、こうしたらいかがかと思いますが・・・」と理路整然と隊長の意見に反論した。
その話が終わるのを待たず、隊長が激怒!!
「てめぇ~、誰に向かってしゃべってんだぁ~、若造のくせに!!、10年早いわ!!」

これは馬鹿に議論を挑んだ典型事例。
感情で話をする人間に理屈を言えばこうなるのは当然。

***************

これは女との議論でも同じ。
感情で挑んでくる人間を理屈で説得しようとしても噛み合うはずがない。
客観的に見ていればよく分かるのだが、当事者同士は嚙み合っていないことに気が付いていないのだから質が悪い。

人間とはしゃべらないのが一番の世渡り上手となる。
それが私の経験則から得た知恵である。


  1. 2016/12/09(金) 12:38:38|
  2. 人生のエピソード
  3. | コメント:3

すべては定められたままに

>自分のことを馬鹿だ馬鹿だと言い過ぎるのが鼻につく。
というメールをいただいたので。。

正確に言えば「馬鹿ではなく、無学」ということでしょうね。
昭和30年代、私の小学生時代のことです。

山の中の分校で、生徒数は1~6年生まで総数32名。
先生は村の坊さん、ただ一人です。しかも、本人いわく国語しか教えられない、、という。

授業と言えば、1年生から6年生までが、一つの教室で学んでいました。
授業は、各学年10分ずつで、あとの50分は自習ということでした。

習ったことと言えば「習字」、「漢字の書き取り」、「そろばん」、「九九」がメインで、社会や理科などの授業はなかった。
秋になると冬に備えて、毎日、薪拾い(ストーブの燃料)、冬になって雪が降るとほとんど毎日、山の斜面に行ってスキー。子供心に楽しい思い出ばかりです。

中学校は、五つの分校と本校の生徒が合流します。
ここで初めてカルチャーショックを受けます。つまり本校の生徒50人近くは、しっかり1時間授業を受けている。しかもそれぞれの教科の専門の先生の授業を受けていたのです。当然、正規の授業を受けていない分校の生徒は中学の授業についていけない。

分校の生徒は親元を離れて寮生活をしていたので、放課後や夜間に補習授業を受けていた。それでも6年間の空白は埋められるはずもなく、落ちこぼればかりという状況でした。

そういう状況ですから分校の生徒で高校に進学できたのは数名のみ。
分校の生徒である私が、たとえ三流高校であっても進学でき、しかも県職員試験に合格できた。これこそ奇跡だったと、いまでも思っています。そしてそれは「私の実力や努力ではなく、そうなる運命に定められていた」、いまでもそう思っています。

この考えがあったからこそ昇進など求めなかったし、上司に逆らうことにも迷いはなかったと言えます。つまり昇進できる運命にあれば、何もしなくても昇進していく、上司に逆らってもクビにならない運命ならクビにはならない。もしそれでクビになったとすれば、そうなる運命だったと考えるわけです。

ここに私の生き方の原点があるのでしょう。

「目標や希望はもたない」
それは自分が求めるものではなく、神によってすでに決められているのだから。。
「死を恐れることはない」
すべてゴールは生まれたときに決められているのだから。。
「いまを懸命に、楽しく生きる」
神によってすでに決められている将来のことを考えるのは愚か。今生きている、この時間を精いっぱい楽しむ。どうせ明日は死んでるかもしれないのだから。。

祖父が私によく言った言葉。
どんなに背が高くなりたいと願っても、チビは死ぬまでチビ。
チビに生まれた運命は、どんなに努力しても変えられない。
自分がチビであるということを受け入れることで人生は変わる。

私は子供のころ身長が低いことに劣等感を持っていた。父親は、木にぶら下がると伸びる、とか、牛乳を飲むと伸びるとか、努力すれば希望通りになると言った。しかし、祖父は「チビは何をしたってチビのまま死ぬ」と言った。

私には、父親の子供に希望を持たせる言葉より、現実的な祖父の言葉に共鳴した。
だから、なんとか人生の波を乗り越えられたのだと今でも思っている。


  1. 2016/11/23(水) 13:30:51|
  2. 人生のエピソード
  3. | コメント:0

私の処世術

あまりテレビは見ないのだが、、偶然に見たときこんなのをやっていた。
あの「今でしょ!」で有名な林先生が、こんな図を描いて説明していた。
300-4-4-4-6.jpg
内容はほとんど聞いていないが、私の考えが分かりやすくフローチャートされていたので拝借してみた。

人間には誰でも「できること」と「できないこと」がある。
そして「できることが多い人」と「できないことが多い人」がいる。それを能力差というのであろう。

次に、人間には誰にでも「やりたいこと」と「やりたくないこと」がある。
これにはほとんど個人差はなく、やりたいことは誰でもやりたい、やりたくないことは誰でもやりたくない。

「やりたいこと」が「自分にできること」であるというのが理想であり、すべての成功者は「やりたいことができる」この(A)のパターンであろう。すべての人間は、この(A)のパターンの成功者になろうとして、一流大学に入り「できることを多くしよう」と頑張るのだと思う。

人生の破綻者、落伍者は、「できないこと」を「自分にはできる」と勘違いしている人(C)がハマりやすい。
たとえば「トレードで儲けること=やりたいこと」だとしよう。トレードで成功した人を見て「自分にもできること」だと勘違いする。ところができない。そんなはずはないと「できないこと」を認めない。認めないからずるずると深みにはまり込んでいくのである。

私が社会に出て同期生たちを見ていて痛感したことは、頭が悪い、能力がない、すべてにおいて劣っているということだった。山の中で原始人のような生活をしていたのだから当然だという思いもあった。

「できること」がない自分は、いかにして給料を稼ぐか、いかにして組織の中で生き抜くかと考えた。
答えは「誰もがやりたくないこと」をやる。。ということだった。

大森岐阜北署長が私を大抜擢してくれた件。
120名以上もいる署員の中で、なぜ私が???
何か特別な手柄を立てたわけでもない。

毎日ゴミを焼く焼却炉の灰が始末されずにいつも周囲にあふれていた。誰もがゴミを放り込んで火をつけるだけで、そのまま放置する。よって周辺は灰が風に舞って灰だらけの状態。灰は署長官舎の庭まで飛んで行って汚していた。

ある日の朝、我慢しきれなくなった署長が焼却炉の灰の掃除をしているのを見かけた。「署長さん、私がやりますから・・」と言って掃除を代わろうとした。
署長は「どいつもこいつも糞をしてもケツを拭かないヤツばかり。こんなことが仕事にも表れるんだよ」「みんなが飛びつくくせに、誰も後始末をしない」、そして、、、「しかしねぇ~、こんな仕事でもないことを「やれ」と言って叱るわけにもいかないし・・」などなど独り言のように愚痴をこぼした。

この日から私は毎日1時間前に出勤して、この焼却炉の灰の掃除することに決めた。
半年ほど続けたとき、署長の奥さんに官舎に呼ばれた。
「いつも灰の掃除してくれてありがとうね」「主人が感謝してるっていつも言ってます」
と言われ、「これはもらい物だけど・・私たちの気持ちとして受け取って」と缶ビールのセットを渡された。

大抜擢の転勤命令を受けたとき、、、
私が署長に抜擢されるような心当たりは何もない。
あるとすれば、この焼却炉の掃除ぐらいしか思いつかない。

「世の中はこんなもんだ」と思った。
そして「誰もがやりたくないこと」をやるしかないという自分の考えが、この成功につながったことで「これから先の生き残りのための信念」に変わった瞬間でもあった。

「ライオンにはライオンの生き方がある、ミミズにはミミズの生き方がある」
自信を失った部下への私のアドバイスは、いつもこの格言であった。何にも自信のない私が、これだけは自信をもって言える言葉でもあった。


  1. 2016/11/13(日) 00:36:04|
  2. 人生のエピソード
  3. | コメント:1

私の人格形成

基本的にコメントに対して返答しないとの方針ですが、このコメントには考えさせられたので、、、

>諏訪さんの印象は、よくぞここまで他人にために親切になれるものだと・・・
>色々な経験を経て何か自分の中で変わるものがありましたか?

いままでの人生で「他人に親切にした」とか「親切にしてやろう」と考えたことは一度もなかった。
このコメントで、いかにして自分の人格が形成されていったのかについて考えてみた。

<幼少期>
気弱で、協調性のない子供であった。
運動もできない、勉強もできない、そんな子が協調性がなかったなら間違いなくイジメの対象となる。幼少期の記憶として、「学校が見える丘の上から学校を眺めていた」「校庭のフェンスの外から子供たちが遊んでいるのを眺めていた」・・・教室の中での記憶はほとんどない。

母親はきつい性格の女だった。
学校から泣いて帰ると何度も殴られた。「やられたらやり返せ」母親を思い出すとき、必ずこの言葉がセットで出てくる。あるとき何人かにやられて血を流して帰ったことがある。母親は激怒し、包丁を持ち出してきて私に握らせ、「殺して来い」「殺してくるまで家に入れない」と、私を怒鳴りつけた。

相手を殺しに行くほど元気があればイジメられることもない。握らされた包丁を持ったまま夜になるまで泣いていた。しびれを切らした母親が出てきて、包丁を取り上げて、その包丁の背で、思いっきり私の頭を殴った。頭はざっくり割れ血が噴き出した。いまも私の側頭部に5cmほどの傷跡が残っている。これが母親が私に残した記念碑のようなものである。

中学生になれば親元を離れて集団生活(寮生活)に入る。母親のことを、善意に解釈すれば、こんな状態でやっていけるんだろうかと子供に対する不安が大きかったんではないかと思う。よく虐待死のニュースがあるが、あの頃、祖父がいなかったら殺されていた可能性もあるとも思う。


<少年期>
両親に怯え、両親と距離をおく私を両親は見放した。(私の思い)
ますます祖父にべったりとなり、祖父の言うことはすべて受け入れられた。

「何事も覚悟をもってやれば勝てる」
母親が教えようとしたのは、この「覚悟を持ってやれ」ということだと教えた。相手を殺す覚悟、自分も殺される覚悟で、相手に立ち向かえば、その気迫で相手は逃げる。大人の社会ば「殺すか殺されるか」の世界だ。

「金は力なり」
祖父は、一般的に言われる「金の力で人を動かす」とか「金があれば何でもできる」という考えはなかった。要するに、覚悟を持つには、その覚悟の裏付けが必要だと教えたのである。
まずは一年分の年収、次は二年分の年収、社会に出たら何も考えず「金を貯めることに専念しろ」と教えたのである。つまり上司と喧嘩するとき「いつでも辞めてやる」という覚悟が重要なポイントとなるが、「貯金はない、首になったら明日からどうする」という不安を抱えていては覚悟はできない。

明日からの生活の不安を抱えているというだけで、その喧嘩の勝負はやる前から決まっているということになり、どんな理不尽な要求にも屈しなければいけないということになると教えたのである。

「人は力なり」
上司と喧嘩して「辞めてやる」と言って辞表を出したって、相手は「そうですか」と受け取るだけのこと。相手にとって痛くも痒くもない。しかし、部下5人10人がお前に同調して一斉にやめると辞表を出したらどうなる。「はい、どうぞ」とは言えない。5人も10人も一斉に辞める事態が起きれば組織にとっても異常事態であり、かつ管理職にとっては監督責任の問題も降りかかってくる。

なら、どうしたら味方を集められるか。
祖父の教えは「相手の期待に応えることを積み重ねれば信頼につながる」ということだった。たとえば、部下の場合、その不平不満を解消できるような行動や言動をすることで、部下は親近感を持ち、やがて信頼されるようになる。

上司に対しては、上司が望んでいることで、誰もがやりたがらない仕事を喜んで引き受けること。いわゆる、やり遂げても評価につながらない仕事、汚れ役、、、誰かがやらなければならないが、上司としても命令するに気が重いような仕事を、喜んで引き受けてくれる部下がいれば、恩を感じるのが人間である。

「上司と喧嘩するときは相打ちを狙え」
上司との喧嘩では、相手は権力を持っているから当然に部下が不利。よって普通に喧嘩しても部下が負ける。だから対等な喧嘩をしようとするなら「相打ち」「差し違え」「共倒れ」を狙う。上司と部下が共倒れでクビになった場合、失うものが大きい方が恐怖は大きい。上司との喧嘩で相打ちを狙えば、部下の方が断然優位な立場になる。


<生き抜くための考え>
中国大陸の前線で、敵を殺し、味方が殺され、さらには部隊内での上官からの日常的な暴力、戦闘のドサクサの中で、憎まれていた上官を部下が撃ち殺すということもたびたび目にしたという。命を賭けて戦場から生還してきた祖父の教えは説得力があった。

学力では勝負できない、能力でも勝負できない、そんな私は生き残るために祖父の教えを実践することに専念した。

「金は力なり」と、ひたすら貯金した。上司と衝突した時、仕事を辞めたいと思い始めたときは食うことも我慢して金を貯めた。結婚してからも、これは同じで私が職場で苦境に入ると金を入れないから家族も貧困生活に入った。そして20年を過ぎたころには無職になっても20年は食っていける金を貯めた。

この「辞めても20年は食っていける」という金は、心強い支えとなった。だからと言おうか、人生を通して強気強気で生きてこられたと思う。

どうにも勝てそうにない相手と喧嘩をしそうになったときは「相打ち」を狙った。相打ちを狙うには、相手の弱点を探さなければならない。権力者の弱点は「女と金」しかない。必ずそこに弱みがある。弱みのない公明正大な人間など組織では、権力には縁のない人畜無害な人種。

出世コースを走っている人間、権力を握っている人間には必ず「女か金」の弱点がある。そしてそこには必ず「酒」が介在している。いわゆる料亭、クラブなどなど、行きつけの店を探し、金で情報を買う。そして脅す。弱い者が強い者に勝つにはこれしかない。これが人生経験から得た生き残るための唯一の方法だった。

組織の中で生き残るため、、、汚い手も何度も使った。
現代、パワハラがどうの、セクハラがどうのと騒がしい。
甘えた考えを持っているから騒ぐだけのこと。社会は、、、組織は、食うか食われるかの弱肉強食の世界。負けて死ぬヤツは、単に生き残る方法を考えていないだけ。大人の世界は、幼稚園や小学校の世界ではないのだから。。。

そう思う。

  1. 2016/11/10(木) 20:12:32|
  2. 人生のエピソード
  3. | コメント:1

プロフィール

Author:chance2005
管理人::諏訪真吾


カテゴリ

私小説(戦い終えて日が暮れて) (51)
影響を与えた言葉 (5)
人生のエピソード (4)
ひとりごと (17)

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク